私はいないという視点からは、
努力の結果みたいな、「私が○○をやった。」「私は○○をやってきた。」もありません。
全ては、「起きたこと」となります。
無→想→受
があるだけです。
想はいつどこで、どんなことが湧くか分からないから「無」から起きたこととなります。
全ては、「起きたこと」となると委ねる生き方となるのです。
「私」がでることで委ねられなくなるのです。
「悟りたい私」がいないと分かったとき悟り、
「癒されたい私」がいなと分かった時、癒され、
「アセンションしたい私」がいないと分かった時にアセンションします。
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